自分という存在が確固としたものであるなら、記憶データを使わずとも自分のことを伝えられるはずです。
ところが、記憶には一切触れずに自分が何なのかを説明しようとすると、何も表現することができなくなるのです。
自分とは、過去の記憶そのものではないのは確実だし、この肉体でもないし、思考でも感情でもありません。
そう言ったものを全て傍へ置いた後に何が残るのか、瞬間瞬間やってくるあらゆる感覚も、自分自身とは違うと分かっています。
どんな考えがやってこようとも、どんな喜怒哀楽に翻弄されたとしても、そう言ったものは自分自身とは違います。
最後には何が残るのか?何も残っていないような気がするのですが、それでもここに自分がいるという感覚だけは消えないのです。
面倒なものですね。その感覚が一体どこからやってくるのか?ただし、この自分がいるという感覚は、個人としているということではないようです。
なぜなら、個人であるという明確な理由づけがもはやできないからです。つまり、最後に残っている自分がいるという感覚は、「ただ今ここに在る」というものなのです。
これはもう人間としてのものではないでしょう。ただ在るということ以外はどんな説明もできないのですから。
それが自己の正体なのでしょうね。到底、この3次元の存在とは思えません。だからこそ、どこにいる?という質問には答えられないのですね。
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