誰にでも経験があると思いますが、私達は自分にとって都合の悪いような記憶を忘れがちになるものです。勿論本当に忘れているわけではないのですが、覚えておくことを嫌がる自分がそうさせるのです。
こうした記憶のコントロールは単に忘れさせるというだけではなくて、記憶をいいように改ざんしてしまうことも含まれています。
都合のいいことはいつまでも覚えておいて、折に触れてそれを人に話したりしますし、場合によってはニュアンスを変えて記憶し直してしまったりもするのです。
本人の自覚としては、自分の記憶は基本的に正しいものだとの認識があるものですから、相手に記憶違いだと指摘されてしまうと怒りが出てくることもあります。
自分を被害者の立場に置いておきたい人は、自分が加害者であったときの記憶は薄れさせておいて、被害に遭ったときのことを強調していつまでも覚えています。
そうやって無意識レベルの記憶のコントロールをされてしまうために、人は公平な目で自分を見ることができなくなってしまうのです。
誰かに自分のことを受け止めてもらいたいという気持ちが強い人は、今までに誰かに受け止めてもらったことがあったとしても、そのことを記憶から消してしまうのです。
その結果、本人は朝目が覚めるとまた自分は誰にも受け止めてはもらってないという飢餓的な心境からスタートすることになるのです。
そうやって、今日も人に分かって欲しいという訴えを続けることになるのです。でもまた、明日になるとそのことを忘れさせられてしまうために、また初めからわかって欲しい人生を開始しなければならないのです。
人生から学べてないと感じている人は、どこかで記憶のコントロールが働いていると思ったほうがいいかもしれません。
自分の記憶など全くあてにならないというところから、もう一度自分の人生を見つめてみることは大切なことだと思います。