私達は自分のことを「からだ」と「心」というふうに見ています。そして、それらは次のように分けることができるのです。
「からだ」 -見える部分 —— 肉体
-見えない部分 —- 頭脳、能力、気質、性格
「心」 -自分を「からだ」だと思っている部分
-本当の自己を知っている部分
ここで気をつけなければいけないのは、目には直接見えない「からだ」の部分である頭脳や気質などを「心」と勘違いしがちなことです。
その人の個性として捉えられるものはすべて、「からだ」の機能であるDNAにその設計図が入っているので、区分けとしては「からだ」であると言えるのです。
そしてその「からだ」を自分だと思っている心の部分で我々は生きているために、頭脳や気質などは「心」だと勘違いしているのです。
つまり、「からだ」はDNAによる個別性を持っていると思われている部分であり、「心」はその反対に個別性を持たない部分であると言えるのです。
ちなみに、自分を「からだ」だと信じている「心」の部分をエゴと呼び、真実の自己を知っている「心」の部分を愛と呼べると思います。
そして残念ながら、我々はほとんどがエゴの部分で自覚しているために、すべての人の「心」が同じものであって個別性はないということが分からないのです。
何度も繰り返しますが、「心」そのものには何の違いもありません。ただ、一つひとつの「心」が自分は「からだ」だと信じている部分を持ち、その「からだ」には個別性があるために「心」そのものも個別性があると思い込んでいるということです。
どの「心」もそのもの自体は何の違いもないということは、すべての「心」は一つであるということになるのです。それこそが愛なのです。