澄みきった心

あなたはどんな時、どんな場所で澄み切った気持ちのいい心になるでしょうか?さわやかな草原をのんびりと散歩するときでしょうか?朝日を感じながら早朝の海辺にたたずむときでしょうか?

大切な人と穏やかなひとときを過ごす夕暮れの景色の中ででしょうか?それとも自宅のソファで静かに瞑想している時でしょうか?

どれも何とも気持ちの落ち着く平安の中にいられるような感じがしますね。 それとは逆に耳障りな騒音の中であるとか、歩きつかれて足が棒のように痛い時や、蒸し暑い満員電車の中など、そんな状況では心は気持ちのいい状態ではいられなくなる可能性が大きいですね。

このように私たちはいいにつけ悪いに付け、まわりの状況などに自分の心が多大な影響を与えられてしまうということを経験から知っています。だからこそ、心が疲れたときやエネルギーが切れてしまったと感じるときには、旅に出たくなったり、自然の中に戻りたくなったりするのですね。

肉体的に感じること、快不快や痛みなどによって、心の状態が変化させられてしまうということです。このことはよく考えてみるといわゆる主従逆転していると言えると思います。

本来心が身体を支配しているはずなのに、身体が心をもてあそんでいるように感じませんか?
もてあそばれているという表現を敢えてしたのには理由があります。

実は身体がもてあそんでいるのではなく、心の中の自分は分離していると思っている部分、つまりエゴが身体を利用して自分をもてあそんでいるということです。

もてあそんでいるのはエゴであり、もてあそばれているのは、エゴを選択し、エゴに力を与えてしまった自分だということです。

このことにしっかり気付いたら、もうそんな主従逆転の状態をいつまでも続けさせておくわけにはいきません。肉体の影響を受けるにしても、ただそれを受け流すくらいの心の余裕ができるといいと思います。

自分の本当の主人は身体でもそれをコントロールしているエゴでもありません。心の中の神聖な愛の部分が本来の自分であり、真の自己であるのです。

そのことをいつも忘れずにいることで、自分が望むのであればいつでも澄みきった気持ちのいい心でいることができるようになるはずです。