怖れは葛藤を生み出す

愛から分離したと思い込んだマインドは、その内側にエゴを生み出すことになってしまいました。ですからエゴの世界というのは、愛のない世界であるわけです。

愛だけが真実、実在するものであるなら、愛がない世界というのはまさしく正気を失った幻想の世界なのですが、その幻想の中でのみ愛の欠乏、つまり恐れに満ちている状態になっているのです。

従って、我々の住んでいるこの世界は怖れの世界であると言うことができます。そして怖れが心のベースを作っていると、その心が一つではいられなくなってしまうという事態が起きてきます。

それが葛藤です。葛藤とは相容れない二つ以上の意思が一つの心の中に同時に存在してしまう状態のことを言いますね。

例えば、人を赦したいのだけれど赦せないとか、一人で気ままな旅行に行きたいのだけれど、不安があって行けない、この仕事はもういやで辞めたいけれど、生活していくためには辞められないなど、いくらでも私たちが経験していることです。

これらの葛藤はすべて愛の欠如、つまり恐れが原因で起こるものです。恐れは愛からの分離を象徴しているため、すべてを分離するように導くのです。心そのものも例外ではなく、結果として怖れに占領されてしまった心は引き裂かれた状態になってしまいます。

赦したいのに赦せないのは、相手を赦すことによって自分の正当性を保持することが難しくなってしまうため、自己防衛のメカニズムがそれを妨害するのです。自己防衛は恐れから自分の身を守るためのものですね。

一人旅で自由を満喫したいけど、誰かと一緒じゃないと何かと不安があって楽しめないから実行できないというのも、一人は怖いという恐れが自由を邪魔してしまうのです。

自分の精神を守るためにいやな仕事を辞めたいと思っても、今度は生活を守るためには辞められないとするのも、こうなったらどうしようという予期不安、つまり恐れがあるからに他なりません。

このように、すべての葛藤は恐れが前提となって発生するものなのです。エゴの世界では、恐れがあるからこそ、自己防衛できると思っています。

人は怖いことには近寄ろうとしないし、恐怖という感情は自分の命を守るための大切なものなのだと思い込まされています。しかし、本当はその逆なのです。

恐れを手放すこと以外に、本当の意味で自分を守ることはできないのです。葛藤のない穏やかな心で生きて行くためには、恐れを選択しないことです。

どうしても恐れを感じてしまうのでしたら、心を据えてそれを一度正面から見てしまうことです。その上で、それをそっくり聖霊に差し出してしまえば、闇として存在していた心の部分に光が差し込んできて、もう闇は跡形もなく消えてしまいます。

恐れという闇がなくなれば、心は葛藤がなくなり、心の中が一つになるのです。それがすべては一つという想念である愛の状態なのです。