選択 その7

昨日のつづきです。

自分自身、選択という題名でこんなに続けて書くとは思っていませんでしたが、考えてみたら当然かもしれません。それは人生のすべてが実は自分の選択が招いた結果なんだということだからです。

あらゆることがこの選択の結果であれば、これほど重要なこともないからです。そして、自分が本当に選択できるのは、愛かエゴかの二択だということもお話ししました。

それが意味することは、自分が愛かエゴかの判別がつかないようなことについての選択はするべきではないということです。正しい判断というのは私たちにはできません。

そしてその選択は潔く放棄して、完全に聖霊に任せるべきです。聖霊はどんな選択についても、しっかりと愛とエゴを見分けることができるからです。

聖霊に委ねるということ自体、それは愛を選択するということを意味しますね。聖霊とは自分の心の中にある、神聖な部分、真の愛の部分を指すからです。

そしてもう一つ、覚えておいた方がいいことがあります。それは、抑圧と選択は表面上似ているということです。

例えば、私が怒りを選択しない、というようにして怒りから開放されたように感じたとしても、場合によってはうまく選択できなくて、ただその怒りを心の底に抑圧してしまっただけだったということが起こりえるということです。

特に、今までの人生でそうやっていやな感情をすべて心の奥に押し込んで何とか生きてきてしまった人にとっては、選択するということが難しく感じられるかもしれません。

自分は怒りを選択しないと意識したはずなのに、今までの習慣によって勝手にその怒りを抑圧してしまうだけにしてしまうということです。

怒りを選択しない、ということを上手にできた場合とそれを抑圧してしまった場合の大きな違いは、その後の心地よさです。表面的はどちらも怒りから解放されたかのように振舞うことができますが、心の中は全く違うのです。

選択した後、いつも気持ちがいいのかどうかを感じてみることです。選択は繰り返し実践することで必ずうまくできるようになるはずです。それは単なる心の訓練です。辛い苦行のようなものではありません。

毎日実践して習慣化できるようになるといいですね。