一芸に秀でる

何でもいい、どこかひとつでも取り柄のような部分、誰にも負けないような秀でた部分があったらいいのにと若いころからずっとそう思ってきました。

何か特別、これに関しては誰にも負けないとか、抜きん出ている才能や能力のようなものが何にもないので、何をやっても中途半端で大成しないので、よくそう思ってたのを覚えています。

今日、知り合いの人がピアノのリサイタルを開くということで、招待していただいて演奏を聴いてきました。クラシック音楽などまったくの素人の自分なのですが、それでもあまりに洗練されたテクニックや情感たっぷりの演奏に感動させてもらいました。

やっぱり、一芸に秀でている人はすごいなあというのが正直な感想です。人は、その身体を使ってどこまでの能力を身につけることができるのでしょうか?

どれだけ練習して、鍛錬すればあんな神業的なことが可能になるのかなと演奏を聴きながら思っていました。しかし、あんなに自由自在にピアノを操れたら楽しいだろうなと思いながらも、今までと違う感覚もありました。

それは、一芸に秀でることに対するあこがれのようなものがかなり薄れてきているということでした。いつもいつも自分の幸福はどこにあるかということを感じながら生活してきたせいなのか、羨望のようなものが少なくなっていました。

自分は本当に何もできないし、何も成し遂げていない。人に誇れる何物も持ち合わせてはいないし、自分の何かを認めてもらえそうなものも探しても見つかりそうもありません。

だからといって、そのことに何の自己嫌悪も惨めさも全く感じないのです。ああ、そんなふうに自分は知らぬ間に変わってきたんだなということを改めて思いました。

自分はこの生で何を目指しているのかということが明確になっているおかげかもしれませんね。見たり聞いたりといったあらゆる体験をしても、自分の軸がぶれなくなったとも言えると思います。

周りの人たちを許すということだけが生きる目的であると明確になったことで、何物にも揺さぶられない確固とした心の場所ができたのだと思います。このことだけでも、心はかなり平安でいられます。奇跡のコースの教えのおかげですね。

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