恐怖という感情は罪悪感からやってくるのですが、その形はまさに七変化すると言ってもいいのです。ある時には不安に、またあるときには怒りや憎しみに、そして悲しみや絶望など、ありとあらゆる苦悩に関連する感情に変化します。
こうした恐怖グループともいえる感情の中で、誘惑という言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはり怒りですね。というのも、怒ろうかどうしようかという迷いを自覚することが多々あるからです。
いきなり感情がすごい力で押し寄せてきてしまうのであれば、それはもう手の施しようがありませんので、理性はその威力が静まってくるまで使うことができなくなります。
しかし、怒りの場合にはその多くのものはリアルタイムに自分で誘いに乗ってしまおうか、それともやめておこうかという選択ができるような気がします。
といっても、我慢するということでもありません。勿論我慢してしまうこともありますが、今の話しは我慢とは違う選択のことを言っているのです。
例えば、目の前に大好きなケーキがあるけど、もう夜も遅いし胃腸のことを考えて明日食べることにしようと思うことは一概に我慢とは言えません。
理性で食べてしまうか、明日にするかを選択しているのですから。それと同じように、怒ろうとする誘惑というのが心の中にあるのです。
そのケーキ食べてしまえ!という自分をそそのかす声と同じように、相手に怒りをぶつけてしまえ!という誘惑の声が聞こえるわけです。
その時に、その誘惑に負けてしまうと相手に怒りをぶつけてしまいます。しかし、その誘惑に負けずに意識して心の平安を作るようにすることで、穏やかな気持ちでいられることも知っています。
怒っている自分と平静な自分とを比べたら、それは平静でいられる方がより幸せに近いということは誰でも知っている事実ですね。
それなのに、怒りという誘惑に負けてついつい文句を言ったり、愚痴を言ったり、直接相手に怒りをぶつけたりしてしまうことになってしまうのです。
誘惑に負けてしまうことがあったとしても、決して自分を裁かないことです。その上で、自分はいつでも平安を選ぶことができるということを、その都度確認することです。
誘惑をしっかりと感じつつ、その威力を見てあげればいいのです。逃げる必要はありません。そうやって向き合ってしまうと、かえってその誘惑から開放されるように思います。
具体的には、「今自分は怒りの誘惑を感じてる!」と心の中でつぶやくといいです。そうして、誘惑の力を認めてあげるのです。
十分にその強さを感じたら、それと同じだけの強さで平安を選ぶことができると意識するのです。こんなまどろっこしいことを、その都度やっていると結果としてその誘惑に負けないでいられるようになることもあります。
興味を持っていただけたら、是非毎日それを実践して効果のほどを試してみることをお勧めします。うまくいってもいかなくても、誰も何も損することはないので安心して何度でも試してみて下さい。