自己犠牲

誰に教わったわけでもないはずなのに、気がついたら自己犠牲を払う習慣がついてしまっていたという場合、人はそれを手放すのに苦労するかもしれません。

それと言うのも、苦しむことになるのに自己犠牲をするにはそれなりの理由があるからです。実は自己犠牲を強いてしまう裏には隠れたメリットがあるのです。

その隠れたメリットのことを正面から見つめて、もうそんなものはいらないときっぱりと分かるまでは、自己犠牲を続けてしまうのです。

自己犠牲そのものにメリットがあるわけでは勿論ないのですが、自分が我慢してまで周りのために尽力することにこそ、かきたてられるような魅力があるのです。

その魅力とは一体どんなものかというと、結論から言うとそれは自分の存在価値を高めようとすることなのです。

自分がどんなに我慢をしようと、成果として自分の存在価値が高くなれば、何とか生きていける、あるいは生きていていいんだということになるからです。

自己犠牲というものは、愛とは決して共存することができません。自分に限らず何かを犠牲にするという思いのもとは、恐怖だからです。

人類の生贄(いえにえ)の歴史を見れば明らかですね。罪深いと思っている者たちが神から天罰を下されることを怖れるあまりに、誰かの命を犠牲にして神に捧げることで自分たちは助けてもらえるとするのが生贄の本質ですね。

このように自分以外のものを犠牲にするのは目立ちますが、自己犠牲については本当のところ本人にしか分からない場合も多いのです。

心に愛を感じなければ人は幸せからは遠ざかっていきますので、自己犠牲を強いてるという自覚がある人は何としてでもそれをやめていくことです。

つづく