完璧を求める

何かを着々と築き上げていく時の充実感と言うか喜びというのは、誰もが経験しているものだと思いますが、それとは真逆の何かを手放していくときの爽快さというのもありますね。

いらなくなった本やCD、着なくなった服や靴、そういったものを古本屋に売ったり、リサイクルショップなどに出したりして整理するととても気持ちがいいものです。

なんだか一緒にいて辛いことが多いのだけれど、どうにも独りきりになってしまうのが怖くて別れることができずにいた恋人と、とうとう別れてしまうと、思いのほかさっぱりとするものです。

収入が減ってあるとき一文無しになったとすると、実際困り果てることになるだろうなとは思うのですが、何か守るものがなくなった気持ちよさのような感覚があるようにも思えます。

何かを守らなくていいというのはとても楽ですね。欲を出さずに現状を維持するだけでいいと思っても、それでも守るものはあるわけです。

どうも自分には破壊願望があるように思います。破壊といっても暴力的な意味ではなくて、作り上げてきたものを一旦壊してしまいたいという願望のようなものです。

もしかすると、自分が関わってきたあらゆるものに対してそうした願望が心の奥深いところに隠されているようにも感じます。

この気持ちは一体なんだろうと見つめてみたのですが、完璧ではない自分に対する嫌悪感なのかもしれません。

完璧さを求めている限り決して満足するということはないのですが、そうした自己否定が原因となって、駄目な自分が作り上げたものを壊してしまいたいと思うのかもしれません。

そうしたものに、自分の駄目さ加減が見えてしまうとでも思っているのでしょうか。完璧でないものは破壊して、再度完璧を目指して作り直したいということなのかもしれないです。

年齢を重ねるごとにこうした傾向は減ってきてはいると思うのですが、まだまだ心の奥に残っているようです。人の心とは面倒くさいものですね。

でもそんな自分も全部丸ごと認めて受け入れてあげたいなと思っています。それも許しですよね。しょうもない自分というものをやさしい眼差しで見てあげることで、気持ちも楽になりますね。

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