このブログでは以前からずっとエゴについて書いてきましたし、個人セッションや講座においてもエゴのことをずっと取り上げて話してきました。
きっとそれはこれからも続くものと思います。なぜなら、それはエゴについてなるべく正確に理解しておくことが、人生をよりよいものにしていくためには必要なことだと思うからです。
そのためにも、もう一度ここで誤解をしないように、エゴについて説明をしてみたいと思います。というのも、エゴを悪者だと思ってしまっている人が時々いらっしゃるからです。
エゴとはそう簡単にこういうものだと決め付けられるようなものではありません。敢えて言えば、エゴとは自分は外の世界とは別の存在だという認識をしている心の部分ということになります。
そして、エゴ自体も相当に様々な心の断片として分裂しているのです。つまり、エゴはピンからキリまでそれこそ豊富な品揃えを持っています。
その上、それぞれの断片は互いに違う主張、違う思い、違う感情などを持っているために、心は常に葛藤を強いられることになるのです。
右に行きたいと主張する部分があれば、必ず左がいいと訴える部分があるという具合に、いつも一つの心の中で小競り合いみたいなものが起きていると思えばいいのです。
よく、私は「それがエゴの悪巧みだ」とか、「エゴは自分を不幸にしようとしている」などのような表現を使うことがあるのですが、その場合のエゴとはピンからキリのうちの、キリの部類の方のエゴを指すと思って欲しいのです。
逆に、「自分を癒して幸せになりたい」とか、「愛ある人になりたい」などはピンのほうのエゴだと言えるかもしれません。「エゴは悪者だ」と感じるのもエゴの心です。
一つ、はっきりさせなければならないのは、自分が身体だと信じている心はすべてエゴに属していると思ってください。全部、エゴなのです。
ですから、安心して自分はエゴだと言っていいということです。エゴ以外の心の部分というのは、私がいつも真の自己というように表現しているものです。
幾分、エゴについての認識がはっきりしたでしょうか?エゴとはこれが私だと自覚している心そのものだということです。愛に近い部分から悪魔のような部分まで幅が広いと思ってくださいね。