私たちはみんなそれぞれに、これが自分だと思っている自己像というものを持っています。そして、心の底からそれが確かに自分なのだと信じ込んでしまっています。
しかし、それは実際には生まれてからずっと繰り返して教えられてきた自分のイメージでしかないということを知らずにいます。
残念ながら、我々は周りによって作られた自分のイメージによって、自分というものを認識するようになってしまったのです。
そのことをよくよく理解する必要があります。これは誰にでも言えることなのですが、本当はみんなもっともっと自由奔放に生きれるはずなのです。
ですが、自分とはこういう人間なのだということを教えられ、躾けられ、信じ込まされることによって偽物の自分を作り上げて、それを信じてこの社会に適合しながら生きているということです。
例えば、幼い頃に親などから、「この子はおとなしい静かな子だね!」と言われてしまうと、本当は言いたいことや訴えたいことがあったとしても、言えなくなってしまうということがあるのです。
そうやって、言えなくなると、益々そうした自分像に忠実に振舞わなければならないというルールが出来上がってしまい、それを打ち破ることがとても難しくなるのです。
こうした事例が数え切れないくらいに日常の生活の中に組み込まれていくことで、気が付くとにっちもさっちもいかないような、大変不自由な人生になってしまうということがあるのです。
どんな人でも心のどこかで不自由さを感じているはずなのですが、それにはこうした理由があったということです。
そして更にやっかいなのは、不自由であることを自覚していたとしても、人間は自己像を変えたいとは思わないという性質を持っているのです。
だから、自己像が不自由さの源であるということが仮に分かったとしても、その自己像は温存しておいて、目先の不自由さだけを何とかしたいと思ってしまうのです。
これでは死ぬまでその不自由さは解消されることがありません。何度繰り返しても足りないくらいですが、私たちは本当の自分で生きてはいないということをしっかり見つめることです。
どんな気質や体質で生まれたとしても、素の自分そのままで生きることができるとすれば、それは必ず生きやすい人生になるはずなのです。
みんなで、互いに協力しあって、誰もが素のままで生きてもいいんだということを認め合えるような世界になることを祈っています。