秋の夜長はとっても気持ちいいですね。普段あまり、夜窓を開けていることはないのですが、今の季節だけは開けっ放しで読書をしたり、瞑想をしてみたり。
それがとても心地いい感じです。外では秋の虫たちが控えめに鳴いていて、それを聞いているだけでも心が落ち着いてきます。
いい音色で泣いてくれる虫たちは、きっとこれからやってくる冬には耐えることができずに、その短い命を終わらせるのでしょうね。
その前に卵をせっせと産み落としておくのは言うまでもありませんが、自分たちの子供の顔を見ずして亡くなっていくのですから、少しさびしい感じがします。
そして来年卵からかえった幼虫たちは、自分たちの親の顔を見ることもなく、自然の脅威の中で逞しく育っていくわけです。
彼らはそれを無限とも言える世代に渡って延々と続けてきているのです。一体何の目的で、どのようにしてそれを維持し続けているのか。
彼ら自身もそれを知ることはありません。それは本当に不思議なことですが、何かの力が働いていると思わずにはいられません。
彼らには、「私」という想念がないにもかかわらず、すべきことを完璧に仕上げたうえで、何事もなかったかのように短い一生を終えるのです。
では、我々人間はどうなのかと考えて見ると、私たちには、「私」という自覚があって、その私の自由意志によって、何かを計画したり考えたりして自分の人生を生きているとの思いがあります。
でも本当は、秋の虫たちと同じように、その一生は大いなる力によって決められた通りに推移していくのだとも思えるのです。
それなら、この「私」の意志や意図、そして固有の選択などというものは表面的にあるように見えるだけで、本当は起きることが起きるだけであるとも言えます。
そこに「私」という行為者はいないということですね。「私」がいてもいなくても、結果は同じであるとも言えるのです。
であれば、あくせくしたり、深刻になったりする必要など全くないということに気づくでしょう。あるがままに、流れのままにそれを受け入れて、身を任すことができたら無駄な苦悩を背負い込むこともなく、平安な心でいられるのでしょうね。