「私」という人物

私たちは誰もが気が付くと、一人の人物として生きています。それほど自覚がないままに、気づくと他人からも一人の人物として認められるようになっています。

この人物というのは、一体どのようにして出来上がるものなのかということについて、少し考えて見たいと思います。

まず、生きていれば毎日が様々な体験の連続であって、その体験の中から印象に残るものだけをピックアップして記憶の中に溜め込んでいくのです。

その一つひとつの記憶を、地道に積み上げていくことで全体として人物が出来上がるわけですね。したがって、どんな体験を印象的に記憶してきたかということが、どんな人物になるかということと深く関係があるということになります。

体験は、本人に起こる外的な事象だけではなくて、そのことに対する本人の反応も含めて大切に保管されていくのです。

そのすべてが知覚に全面的に委ねられているということが分かります。我々はあらゆる体験を知覚を通して経験するからです。

そして、知覚の中には、判断や反応も含まれるのです。そうした、判断や反応も、それまでの体験が元となってどのような反応をするかが決定されるのです。

しかも、知覚というのは私たちがでっち上げたものであって、事実をあるがままに知覚するということはほとんどありません。

自分に都合のいいように捏造することがほとんどだということを考えると、結局、作り出された人物というのは、見えない計画に沿ってただ出来上がっていくものだということが見えてきます。

つまり、人物の出来上がりというのは、決して偶然に任されているわけではないということです。あなたがどんな人物なのかということは、あなたが生まれたときから決まっていたとも言えるのです。

このことが分かったら、もう自分を何とかしようともがいたりして、余計な努力やエネルギーを費やすことが無意味だと分かります。

ただ、自分に与えられたものをすべてそのままに受け入れて、淡々と過ごすことができたら、それが結果として最も穏やかで気持ちのいい人生になるはずです。

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