「私とは私で在るものである。」このように表現すると、当たり前であることのように聞こえてしまうかもしれませんが、実はそうでもないのです。
実際には、我々は自分のことを、「私は身体である」とか、「私は心である」のように思い込んでいるからです。
こうしたことが単なる思い込みなのだということは、このブログで今までに何度となく書いてきたことなのですが、その信じ込みを断ち切ることができないのです。
しかし、真実は「私とは私で在るもの」という以外に表現することができないのです。そして、本当の私は決してこれだとか、あれだというように示すことのできないものです。
私は身体だという思い込み、つまり私と身体との同一視を継続させている要因とは一体何なのでしょうか?それを暴いていきたいと思います。
そのためには、自分が今までに詰め込んできた既成概念、学習してきてしまった常識などを一旦脇へ追いやって使わないようにしておく必要があります。
その上で、私が身体であるということをどうやって信じ続けているのかを見てみると、その一つには一生自分の身体と一緒だからというのがあるかもしれません。
しかし、今自分の身体という言い方をしましたが、これは自分の所有物と考えることも可能ですね。ずっとパンツを穿いているというのと全く同じです。
パンツを自分だと思っている人は誰もいないように、自分の所有物でありずっと一緒であるものを自分自身と勘違いするということは馬鹿げた話しです。
だとすると、もう一つの要因と考えられるのは、身体からやってくる無数の感覚と自分が繋がっているということかもしれません。
でもそれも、感覚は私の感覚であって、私自身であるとは言えないはずです。こうして見て見ると、私たちは自分は身体だと単に思い込まされてきただけだということがはっきりします。
あらゆる苦悩の根本原因である、自分は身体であるとの思い込みをどうにかして、その嘘を暴いて「私は私で在るもの」に立ち返りたいと思います。