誰もがこの先の未来に何かしらの期待を持って暮らしています。明日は、もっといいことがあるかもしれない、素敵な人との出会いもあるかもしれない。
一ヶ月後には、もっとましな自分になっているかもしれないし、一年後には希望の仕事に就いているかもしれないと。
もしも未来には、何もいいことは起きないと分かってしまったら、人生を生きていく気力すら失ってしまうかもしれません。
それくらい、未来への期待は大きなものなのです。私自身についても、これと言って何の用事も計画もないその日暮らしの人生なのに、もっと気づきがやってくるかもと期待したりします。
そのことに気づいては、ああ、また未来に何がしかの期待をしてるんだなと思ったりしています。それは、実は過去との繋がりにおいて、そうした期待が発生するのです。
簡単に言ってしまえば、過去に残してきた不満を未来に満たそうとする想いなわけです。過去が満ち足りていなかったからこそ、それを現在をすっ飛ばして未来で何とかしようとするのです。
これでは、大切な今を充実して生きることができなくなってしまいます。なぜ今が大切なのかというと、今に意識が向いている限り、過去の不満を見ることがなくなるからです。
ひとたび過去へ意識が戻れば、それが必ず未来への期待、あるいは不安へと変化していくのです。これではいつまでたっても、今を生きることができなくなってしまいます。
今、手にしてないものが、未来に手に入れられたとしても、それはいずれはまた失ってしまうものだということに気づくことです。
手に入れられるものとは、すべてそうした一過性のものなのです。本当に大切なものとは、永遠にあるもの、それは今あるものに違いありません。
それを見いだすことです。決して失うことのないものとは、一体何でしょうか?それこそが、昨日のブログで書いた「私で在るもの」です。それはいついかなるときにも「在る」のですから。
それは失うことができないものです。そこに、意識をいつも向けていることです。それは、過去を悔やんだり未来に期待することとは違って、永遠の心の平安の場所なのです。