幼いころに、時々遊びに来てくれる祖母が大好きでした。あるときに、姉に一番好きなのは誰かと聞かれて、即座に「おばあちゃん!」と答えたのでした。
すると、姉は「私はお母さんだな」と言っていたのを聞いて、不思議な感じになったのです。そのときの自分にとっては、お母さんのことを好きという対象とは思ってなかったからです。
それは、あまりにも自分と近すぎて、単なる好きな対象として見ることができない状態だったということですね。自分との区別がまだしっかりできていなかったのかもしれません。
その後しばらくして、姉の言っている意味がはっきり分かるようになったので、それは心が成長したということなのでしょう。
このように、我々は自分にあまりにも近いものを、対象として見ることができないために、近すぎて気づけないという状態になるということです。
海の中を泳いでいる魚は、海のことを知ることは決してないでしょう。それと同じようにして、私たちは自分とあまりにも近過ぎるために、本当の自己に気づくことができないでいるのです。
隠し絵というのをご存知でしょうか。ちょっと見ただけでは分からないのですが、じ~っと見つめているとある瞬間に、その絵の中に何かが浮かび上がってくる、あれです。
絵の隅から隅までくまなく見ているのですが、見えないときは何も見いだせず、しかし一度見えてしまうとなぜそれが見えなかったのかが分からないくらいに明確に見えてしまうのです。
あれと同じことが、真の自己にも言えるのではないかと思っています。本当はいついかなる時でもそれはもっとも近いところに提示され続けているのです。
それなのに、それは気づくことができずに人生を終えてしまうかもしれないとしたら、とても残念なことだと思いませんか?
誰も修行のようなことをする必要などないのですが、ただ注意の問題だと思うのです。どこに注意を向けて生活するかがとても大切なことなのです。
どんな人でもいつか必ず、いや今この瞬間にでも、「それ」を知ることは可能なはずです。よくよく、自分に一番近いところを見てみることです。今やってみて下さい。