自分という個人は本当にいるか? その2

昨日の続きです。

私たちは自分という存在が二人以上いるということを理解することができません。なぜなら、自意識とは自分は唯一だと信じているものだからです。

ところが客観的事実として、私たちは特定の誰かが複数人いたとしても、原理的にはそれを理解することが可能なのです。

昨日は、その矛盾は自分を連続した存在であると信じることから起こるのだということについてお話ししました。

そして更に、次のように考えることにより、自分という人物が複数いてもいいということにもっと明確に気づくはずです。

私たち一人ひとりの個人とは、私たちの本質からすると、この現象界を体験するためのただの機構に過ぎないのです。

真に唯一の本質が在り、順番にすべての人物の中に入っては、その機構を使ってその人物としての体験をするのです。

私の中に入っている間は、私という人物としての自意識によってこの世界を生きていると感じるわけです。その本質は、次の瞬間にはあなたという人物の中に入るのです。

そうやって、地球上では一瞬のうちに70億人の人物の中に入り込んでは、それぞれの人物として生活しているかのような体験をするのです。

覚醒するということは、まさに人物としての体験の中で、その本質自身が本質としての自己に目覚めることを意味します。

何だか楽しくなりませんか?