苦しみよ、さようなら

私たちのあらゆる苦しみというものは、願望を持つことからやってくると言って間違いありません。なぜなら、その願望が現実にならないということが苦しみだからです。

この苦しみというのは、単純な痛みとは全く異なるものです。痛みは事実として存在しますが、苦しみは自分が心の中で作らない限りは存在しないからです。

だからといって、願望を持つこと自体を否定しようとしているのではありません。誰だって、願い事、望み、欲望などを持っています。

望むことがあるからこそ、それに向かって突き進んでいくこともできるわけですし、それが実現すれば大きな喜びを勝ち取ることだってできるのです。

オリンピックを観戦するときに、どのチームもどの選手も応援せずにただ漫然と見ていることもできますが、あまり興奮することはできませんね。

日本の選手やどこかヒイキの国のチームや選手を応援しながら見るからこそ、スリルや興奮がくるのでしょうし、願った結果になれば悦びもひとしおです。

ここで私が言いたいことは、実は冒頭書いた「その願望が現実にならないということが苦しみだからです」というのは本当は正しくありません。

本当の苦しみとは、願望が実現しなかったことや、願っていない現実がやってきたときに、それを認めようとしないことこそが、苦しみの根源だということです。

いやなことをいつまでも引きずってしまうという苦しみは、気づかぬうちに現実から逃れようとしていることからやってきます。

どんなことが起きようが、それによってどれほどの心的痛みがやってこようが、ただじっとしてそこから一歩も動かずにいればいいのです。

我慢することなく、反応としてやってくる感情をただ浴びるだけ浴びてあげればいいだけです。そうすれば、痛みは小さくなり苦しみは一つも残ることはありません。