もうかなり昔のことですが、電車通勤していた車中で相当に具合悪そうな女性がいたのですが、近くにいた若い男性が「大丈夫ですか?」を連発していました。
傍から見ていてもすぐに大丈夫じゃないだろうと分かるのに、その男性は女性が答えずにいたからなのか、何度も具合を聞くのです。
座席に腰掛けていた男性の一人がそれに気づいて、黙って席を譲ってくれたのでよかったのですが、大丈夫ではないときには答えることもできないことぐらい分かりそうなもんですよね。
私たちは、日常的に何か具合が悪かったり、どこかを痛めてしまったときにも、「大丈夫です」というようなことを言う習慣ができています。
本当に大丈夫じゃないときには上のエピソードの女性のように言葉が出なくなるでしょうが、かなりキツイ状態であっても「大丈夫」と言ってしまうのです。
それは周りに対する気遣いなのか、大丈夫じゃないと思われるのがイヤなのか、物事を丸く治めたいのか、とにかく平気なふりをしようとします。
子供のころに弱虫とはやし立てられた悲しい経験がある人は、そんなことには負けまいとして強がるクセができてしまっているのかもしれません。
実は、対外的にどう表現するかは別として、また大丈夫かどうかよりも、ただその瞬間の具合をそのままに、あるがままに感じることが絶対的に必要なのです。
理不尽な目に遭ったときに、「このくらい大丈夫」とやる前に、少しの時間でいいので自分の心からあがってくるあらゆる反応に身を委ねるのです。
要するに、我慢しようとしてしまう前に、我慢せずにいる時間を作って欲しいのです。心的反応、肉体的な反応を丸ごと感じることができたなら、その後は泣こうが叫ぼうが、周りに助けを求めようが忍耐しようが、それこそ大丈夫なのです。