無邪気さの原動力は愛であり、一方自己防衛の原動力は恐怖です。勿論、自我による自己防衛が機能するからこそ、規律ある社会性が育つのですから自己防衛が不要ということではありません。
けれども、自己防衛ばかりが優先されて、無防備な無邪気さが抑圧されてしまえば、人生を謳歌することができなくなってしまうのも事実です。
ここでいう自己防衛とは、心理的な防衛のことです。この心理的な防衛の主は自我ですので、自我が明確には存在しない人間以外の動物には、この心理的防衛はほとんどないと言ってもいいのです。
たとえ盲導犬などの優秀な犬が、人間の作った規則を立派に守り通すとしても、彼らは自分が規律を守っているという自覚がありません。
この我々人間だけが行う心理的防衛こそが、私たちの苦しみの根源であるということは、もう何度も繰り返しお伝えしてきましたね。
あまりにも一方的に、心理的防衛ばかりが優勢になってしまうと、ある一定の限界を越えた時には、心のストライキとも呼べる事態がやってきます。
それは、無邪気さの中に内在する防衛本能の方が作用して、それまでの心理的防衛一辺倒の生き方を強制的に中止させるのです。
これがいわゆるうつ症状なのです。身体が重くて動かせなくなったり、心が疲弊してやる気がまったくなくなってしまったりといったことが起きてきます。
そうでもしなければ、一線を越えて取り返しのつかないことになってしまうと本能的に感じ取るからでしょう。最後の助け舟がそこにあるということです。
ですから、鬱々とした症状がやってきたときはチャンスだと思ってください。自分がやり続けてきた心理的防衛に気づいて、それを少しずつ手放していくヒントがそこにあるからです。