意識的に死にゆく

事故死などの特別な場合を除いて、怪我や病気などで人が亡くなる前には、いわゆる危篤状態というものになりますね。まもなく死が必ずやってくる状態です。

そのときに、死にゆく人の意識があるのかないのかは定かではありませんが、本当に死ぬときには大抵が無意識となるはずです。そういう意味からすれば、危篤状態とは意識がなくなっている状態を言うと考えてもいいかもしれません。

なぜ、人が死にゆくときには意識がなくなってしまうのか、本当のところは分かりませんが、生きている間に鍛錬をして意識的に死にゆくことができるなら、それはとても稀有な体験となるはずです。

自分の身体が死んでいくのを、意識的に見ていることができるのですから。そして、これは聞いた話ですが、意識的に死んで行けた人は、次の人生を始めるときにもすべての記憶を持ったままであるということです。

つまり、一般的には輪廻の際にはそれまでの人生の記憶を失くした状態で、生まれ変わるというのがごく普通なのですが、意識的に亡くなった場合には、意識的に生まれることができるというわけです。

真偽のほどは分かりませんが、ソクラテスは毒殺されたことになっていますが、そのときに自分が死にゆく状態を克明に周りの者に話したそうです。

だから、意識的に死んでいった人はいるのです。そして、これも聞いた話しですが、意識的に生まれ変わることができた人は、その生において覚醒することが約束されているということです。

それは当然そういうことになると想像できますね。なぜなら、人生のからくりを知りつつ生まれてくるわけですから、同じようなことを繰り返さずに人生から脱出することができるのです。

死にゆくときに意識的であるためには、夜寝入るときに意識的でなければならないでしょうね。純粋な意識というのは、寝ることはありませんので、意識と思考を分離することができるなら、眠りが訪れても意識を失くさずにいることは可能なのです。

そんな練習を気がつけばもう半年もやっているのですが、なかなか難しいですね。意識をなくして、ぐっすり眠りたい自分が強くいるようです。

でもいつか、できるようになれればいいなと思って、今日も眠りにつくことにします。みなさんは、こんな馬鹿げたことは、真似しないで下さいね。

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