旬なときがある

若い頃に、映画を観るのが結構好きだったのですが、その頃に観て何だかつまらないなあと思っていた映画を最近になって再度観たときに、意外に面白く観ることができたということがあります。

映画の微妙なニュアンスだったり、淡々として刺激が少ない部分などはきっと、若い頃には退屈なものと感じてしまっても仕方がなかったのだと分かるのです。

映画そのものは何も変わっていないのに、自分の内面の変化によってどう反応するかが大きく変わってしまうということの表れですね。

またかつては、よくテレビでドラマを観ていました。今でも沢山思い出せるくらいですので、相当に興味を持って観ていたのだろうと思うのですが、最近は全く観なくなってしまいました。

全然食指が動かないというのか、大方予想がつくし、登場人物が病んでいればいるほど面白いということが透けて見えてしまうということもあるのかもしれません。

また、本にしても同じですね。会社員のころから、本屋さんに行って osho の本がずらりと並んでいるのを見かけていたのをよく覚えているのです。

それなのに、何度か手に取ってパラパラと見た記憶もあるのですが、結局買って帰ることは決してなかったのです。きっと、あの頃たとえ読んだとしても今のように心の奥深くに響いてはこなかったのだろうと思います。

タイミングというものがあるのでしょうね。セッションにおいても、似たようなことを感じることがよくあります。セッションを受け初めの頃のクライアントさんと回数を重ねた後のクライアントさんでは雲泥の差があるのです。

私自身は、いつも同じようなことを繰り返しているにも関わらず、クライアントさんはあたかも初めて聞いたとでも言わんばかりの反応をされることがよくあります。

そんな時、これ前々から何度もお伝えしてきたことなんですけどね…、と言うのですが、あまり本気にはして下さらない場合もあるくらいですから。

ある人にとって、その瞬間にのみ、ベストで響く言葉だったり経験というものがあるのですね。それこそが、本当の宝物なのです。誰にとっても、どんなときでも一定の宝物というものは存在しないということです。

何にでも、旬なときがあるということですね。

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