この生というものは、時々刻々と生まれ変わって常に新鮮なものであるのですが、この世でたった一つだけその生の瞬間に生きることができないものがあるのです。
それが私たちのマインドなのです。マインド(思考)は、いつもいつも過去の中にいるのです。過去の中にいるからこそ、私たちは人物として存在していると感じるのです。
人物としての自分とは、過去の体験の蓄積によってでっち上げられたものだからです。だからこそ、この生の瞬間をとらえることが難しくなってしまっているのです。
片や生の方は今この瞬間の連続であり、そこには時間というものが存在しないのですが、もう一方のマインドは過去から現在までの時間の中に居場所があるのです。
だからこそ、私たちは生をそのままの姿として見ることができないでいるのです。あなたという人物の目には、その歴史によって作られた様々な色眼鏡がかけられています。
その色眼鏡を通してしか、この生を見ることができなくなっているのです。そして、その色眼鏡は、とても個人的なものであるために、各人が見ている生はそれぞれ違うものなのです。
本当の生はたった一つしかないのですが、誰もが独自の生の中で暮らしているのです。あなたの体験と反応による記憶を一時的にも見ないでいられるならば、あなたは自分が人物ではないと気づくはずです。
その時にこそ、真実の生により近づくことができるのです。そして、その感覚によれば、自分そのものがその生の一部であるということに行き当たるのです。
そのときに、本当の自分から孤独というものが消失してしまうのです。あなたは、この広大無辺な生の有機的な一部であるということです。
それがどれほど満ち足りたものであるか、瞑想によってそれを一瞬でも見ることができたなら、必ず何か大きな変化が向うからやってくることになるはずです。