昨日のブログで、「私」というエゴは人との関係性の中にのみあるのだということをお伝えしました。つまり、「私」は、自分を円だとすれば、その円周上にのみいるということになるのですね。
しかもです。対外的な世話をするのが仕事ですので、常に外側を向いているのです。ほんの少し前に、このことに気づいてちょっと驚いてしまいました。
常に、自分の内面を見る、内側を見るようにと意識していたのですが、そうしようと心がけている「私」はいつも外側を向いていたということです。
いくら頑張っても、「私」が内側を見ることができない理由はここにあったのですね。深く見れないだけかと思っていたのですが、単に外を向いていたために内側を見ることができなかったということです。
そして本当に都合がいいのですが、円の中心が見れないことをいいことに、そこには「私」がドッカと居座っているのだと思い込もうとしていたのです。
もしかしたら、円周上にいる「私」であっても、練習次第では外側に向いていた向きを反対にして、内側を向くこともできるようになるのかもしれません。
ただし、そうすると中心には誰もいなかったということがバレてしまうことを恐れて、向きは変えられないということにしてしまっているのかなとも思うのです。
実は、「私」がいなくなった経験をする直前に、自分の後方(といっても通常の後ろというニュアンスとは違うのですが…)にわずかに意識を向けるようにしたのを憶えています。
それが、もしかしたら中心を見ようとすることに偶然なったのかもしれません。見えた瞬間、そこには誰もいないと気づくだけでなく、自動的に「私」も消えてしまうということだったのでしょう。
「私」にとっては、後ろを向くことは命取りになると思っているのかもしれません。でも怖いもの見たさというのか、見えないと思うとどうしても見たくなるのが人情ですよね。