求めれば逃してしまう

私たちは、現状に100%満足するということはないのかもしれませんね。良くても、そこそこいいんじゃないかとか、結構いけてるかもしれない、という感覚なのでしょう。

金メダルを取得して、今日が生涯で最高の日です!と言ったとしても、その次の日はもうその感動は下り坂になっていくものです。

あるいはその逆に、今日はとんでもなくついてない一日だったとか、最近低迷していて気分がすぐれないと感じることもあるでしょう。

病気がちであれば、尚更落ち込んでしまうかもしれません。そのようにして、私たちは日々上がったり下がったりを繰り返しているわけです。

それでもいつかきっと今よりも、もっともっといいことが待っているという、淡い期待というのか、希望のようなものを持っていない人もいないのでしょうね。

完全にあきらめきって、未来にどんな希望も持つことができなくなってしまったとしたら、人はどうなってしまうでしょう?生きる意欲がなくなってしまうかもしれません。

だから私たちにとって、未来は非常に大事なものなのです。現状に満たされない不満感を、未来に期待をかけることで何とかやり過ごすことができるのですから。

けれども、長く生きて来ればそれだけ、何があってもどんなものが手に入ったところで、自分が期待するような完璧な、そして永続的な満足を手にすることは不可能だと気づくことになります。

それを深く深く理解することによって、未来へと向かっていた思考が静かになり、意識が優位になっていくのです。人は本当に諦めがついたとき、ようやく今この瞬間の中へ入っていくことができるのです。

それこそが、求めても求めても手に入れることのできなかった平穏な内面なのです。