意識に道を譲る

人間である私たちの深いところには、必ず真実を知りたいという欲求があるのだと思います。はっきりと気づいていないにしても、それは間違いなくあるはずです。

人生が夢のような物であろうと何であろうと、そんなことよりそこで面白おかしく愉快に生きていければいいじゃないと思っているとしても、その表層の皮を一枚剥いでしまえば、きっと真理へと向いているのだろうと思うのです。

ところが残念ながら、「私」がいる限りは真実を知ることは不可能なことです。なぜなら、虚偽である「私」が真実を見るなんてことはありうるはずがないからです。

結局、本当に真理への渇望があるのなら、私は死んで真理への道を潔く開けてあげるしかないのですね。けれども、私と言うエゴが私自身を亡き者にすることは、これまた不可能なこと。

いわゆる自殺というのは、私というエゴが私の肉体を殺すことなので、私が私を殺すこととは違うのです。マインドがマインドを落とすことはできないということです。

「私」が唯一の邪魔者だなんて、なんだか寂しい感じがしないでもありません。けれども、この世界をどう見たところで、壮大なドラマのようにしか見ることができないのですから、この「私」は身勝手なものです。

そしていつかは確実に「私」と肉体は死ぬ運命にあるのです。ホント、「私」って救われないのですね。しかも、「私」が幻想だったということを見抜くのは、「私」ではないわけで…。

唯一この「私」にできることと言えば、できる限り気づきの邪魔をしないようにすることだけですね。なるべく活躍せずに、つまり思考を回転させずにいて、意識がそのまま露出できるようにしてあげること。

意識さんが出たがっているのだから、この生を譲る決意ができるといいのですが…、ね。