執着が落ちた後の爽快感

私は、30歳になろうとするときに、それまでずっと吸い続けてきたタバコを止めた経験があります。10年喫い続けたチェーンスモーカーでした。

今では考えられないのですが、社会人になって初めて務めた会社は、いつでも自由に仕事中タバコを喫うことができる職場だったのです。

職場の空間がいつも、タバコの煙でモーモーとしていたのを覚えています。よくもまあ、誰からも文句の声が挙がらなかったと不思議なくらいです。

そして人生で初の転職を前にして、ちょうどいいタイミングだからと禁煙に挑戦したのです。次の会社は外資系だったため、タバコは厳禁だったからです。

今日からタバコを喫わないと決めた日、それまでいつも自分と共にいてくれたタバコを失うということが、何だかとても不安だったのを憶えています。

けれども、一週間、二週間とタバコ抜きの生活ができたときには、全く違う気持ちがやってきたのです。それは、タバコに頼らずに生きられるという自信。

その何とも言えない清々しさは、今でもはっきりと覚えています。タバコへの依存でもそのくらい大変なのですから、もしも誰かにしがみついているのなら、それを失うとしたらどれほどの恐怖を感じるのか想像に難くありません。

しがみつきは、それが無ければ生きてはいけないと感じるくらいのとても大きな執着心なのですから、失う恐怖が大きいのは当然ですね。

たとえそうであっても、<存在>はいつまでもその執着の中に人を置いておくはずはありません。いずれは、勝手に本人の手から滑り落ちていくことになるのです。

時期が来れば、必ず執着は終焉を迎えることになるので、たとえ大きなしがみつきがあるとしても、焦らずに待つことです。誰であれ、執着が取れた後のあの爽快感を味わうことができるのですから。