神の采配

セッションでは、できるだけ丁寧にクライアントさんのお話に耳を傾けるのですが、初回であればなおのこと、よりじっっくりとクライアントさんの人生の土台の部分をリアルな感覚を持ってお聴きするわけです。

その時に、どうやっても自分の許容範囲を超えてしまうような内容のこともごくたまにはあるのです。どうやって、クライアントさんがその過酷な環境で生き抜いてこられたのかを想うと、ただ驚嘆してしまうのです。

クライアントさんの幼い頃のエピソードを聴きながら、その瞬間瞬間をどんな気持ちでやり過ごして来たのかを想うと、私自身が耐え難くなってしまうこともあるのです。

そういう時に限って、意外にクライアントさん自身はしっかりされているというのか、淡々と過酷な過去のお話をされるのです。内容の割には、ご本人の心のダメージは小さいのかもしれないということです。

それで分かったことですが、とてつもなく理不尽過ぎる親に育てられると、比較的早い時期に相手の方がおかしいということを子供の側が見抜くことができることで、その分だけ傷が軽くなるということ。

逆に世間的にはごく普通に見える親であっても、コントロールされて、ペットのように飼育されてしまえば、気づかぬうちに多大な洗脳の中に入り込んでしまうことになり、そのような場合の方が圧倒的に深く病んでしまうということなのです。

よく親がだらしないと、子供がしっかりするというようなことを言われることがありますが、それと似たようなことなのかもしれませんね。

とは言うものの、やはり過酷過ぎる環境でよくぞ生き抜いて来られたと想うと、感動すらすることもあるのです。きっと、クライアントさんが勇気を持って癒しを進めていった暁には、神の采配に気づくことができるのだろうと思うのです。