最近、「どちらでもない」という感覚が自分の中で定着してきたように思っています。自分の仕事は好きですか?と聞かれたら、好きでも嫌いでもどちらでもないと答えます。
先日、あるクライアントさんに神を信じますか?と唐突に聞かれて、信じてるわけでも信じてないわけでも、どちらでもないと答えたと思います。
あなたは今幸せですか?と聞かれたら、間違いなく幸せでも不幸でもどちらでもないと答えるはずです。このどちらでもないという態度は、一般常識的にはアウトかもしれませんね。
私たちは幼い頃からずっと、しっかりとした自分の意見を持つようにと教わってきたからです。何食べたい?と聞かれて何でもいいよと言ったら、大抵は若干嫌われるでしょうね。
どこに行きたい?と聞かれても、どこでもいいし、どこにも行かなくてもいいというのが本音なのですが、こういうのは優柔不断なダメな奴と判断されるのです。
けれども、本当は最強なのです。どちらでもないという真の意味は、その両方を含み、超越しているということだからです。どちらかに決められない優柔不断というのとは根本的に違うのです。
私は実はずっとそのような自分をあまり良しとしてきませんでした。自分は絶対これ!という決断というか、思い入れの強さのようなものが欠如しているからです。
それがようやくこれでいいんだということが分かってきたのです。人には嫌われるかもしれませんが、仏陀が中道と呼んだ生き方に近い感じがするからです。
人は自分に対する評価というものが、いつか変わっていくものなのですね。