すべてを「存在」に一任する

私たちは誰もが、物事はこうあるべき!というのを持っていますが、それが未来というものなのです。それは、願望とか欲求という形となって、マインドを占領するのです。

そういったものを達成してマインドを満たそうとするときに、自分さえ頑張ればある程度は達成できるものと、そうでないものとがありますね。

例えば、毎日30分のストレッチをやると決めて、それを頑張って励行することは、基本的には自分だけの努力で何とかやり遂げることができます。

けれども、元々が自分独りでは達成できないもの、例えば仕事で言えば、大勢で進めるプロジェクトだったり、プライベートであれば恋愛などは、相手次第というところが多分にあるのです。

自分がどれだけ努力したところで、願望を達成できるとは限らないのです。その時に、人は初めて挫折することになって、願望や欲求が大きければそれだけ挫折も大きいと知るのです。

大人になってからの挫折もそれなりに苦しいですが、幼い頃の絶望ほど大きく傷つくことはありません。どれほど頑張っても期待しないこと、惨めなことが起きてしまう。

それに対して、自分は何もできないという無力感が、その幼い子供のマインドを激しく切りつけるのです。その結果、二度と傷つきたくないとして、もっと頑張る人生を生きることになるのです。

子供の頃にそうしてしまうのは無理もないことです。けれども、成長していくにつれて、願望や欲求を持つこと、そのものが自分を苦しめることになると気づく必要があるのです。

自分とは、他人とは、物事とはこうあるべき!という根深い期待を脇に置いて、すべてを「存在」に一任してしまうのです。実際、私たちは単なる「存在」の媒体に過ぎないのですから。

全体が私たちを通して存在しているということの気づきは、肩の力が抜けて人生をもっと容易なものにしてくれるはずですね。