父親のこと

ここ一ヶ月ほど、父親がほとんど食事をしなくなっていて、年齢も年齢なだけに心配していたのですが、体力もなくなって独りで風呂に入るのも億劫になったので、ちょうど一週間前に検査入院させたのです。

やせ細った父親の姿を見ると何だか寂しい気持ちにもなったのですが、本人はどこも痛くも痒くもないらしいので、それはとても救われました。

入院しても点滴をされるだけで、食事はほとんどせずにいて、今日になって病院から連絡があり、駆け付けたときには、もうすでに亡くなっていました。

95歳で亡くなるまで、これまで一度も病気で病院に行ったことがなく、本当に手がかからない、最高の逝き方、まさに大往生でした。

父親は、何も文句を言わない人なので、穏やかでストレスもなく、ほとんど老衰のような感じだったと思います。自分も見習いたいものです。

今、起きたことを独り、噛みしめながらこのブログを書いているのですが、内側はとても静かで安らいだ感覚が広がっていて…。

この数年の間、人の死について、自分なりにずっと見つめてきたことが少しは影響しているように思うのです。もう父親のマインドと会話することはできませんが、マインドが消えて真実へと戻って行ったのです。

それは決して忌み嫌う出来事ではなく、ただ本来の場所に落ち着くことができたということです。長い間ご苦労様でした。真実は素晴らしいのでしょうね。