物語は魅力的

私にとって、クライアントさんとのセッションは、誰もが物語の中の住人として暮らしているということに気づかせてくれる大切な時間なのです。

勿論、自分自身も同様にして物語の中で生きているということをリアルに感じさせてもらえるのです。クライアントさんのお話しを伺いながら、その感覚がジンジンやってくるのです。

物語自体が悪いということは決してありません。都合のいい物語もあれば、都合の悪い物語もあって、どうせなら嬉しい物語がたくさん起きてくれたら有り難いと思うはず。

けれども、所詮は物語であって、大切なことは物語を物語として気付いていること。物語の中に没入してしまえば、それがリアルな現実となって、つまりそれが真実に見えてくるのです。

真実ではなく、思考による創作なのだと気付いて、物語であるということを常に見抜いていること。自分にとって、嫌な物語がやってくれば、物語性に気付きやすくなるのです。

その一方で、物語を楽しんでいるなら、多くの場合にはその物語と同化してしまい、それが現実という物語であることを気付けなくなってしまうのです。

物語の中にいて、物語であることに気づいているためには、自己想起をし続けることが必要なのです。物語から抜けようと努力する代わりに、ただただ自分に意識を向けるのです。

抜ける努力は、それ自体が物語の一部になってしまうのですが、自己想起は自動的に物語との間に隙間ができるのです。

どれほど目の前の物語が魅力的なものであろうと、自己想起を忘れずにいることができるなら、10年20年の間には、途方もなく大きな違いがやってくるはずなのです。