死を通過する意識

一般的に言って、死は私たちにとっての最大の脅威です。死というものが、なぜこれほどまでに私たちの恐れの代名詞となってしまったのか?

死は自分がいなくなるから怖いのだというごく当たり前のことだけではないのです。実は、死の恐怖とは未来を奪われてしまうことからもやってくるのです。

個人というエゴが生きていくためには、夢や希望、言葉を変えれば欲望がどうしても必要なのです。そしてその欲望を実現する場所が未来なのですね。

未来だけが、自分の欲望を叶えてくれる最も頼りになる存在だと思い込んでいるのです。その大切な未来を根こそぎにされてしまうのが死なのです。だからこそ死を非常に恐れてしまうのです。

したがって、もしも欲望が仮に現在の半分になっただけでも、死の恐怖はそれだけ小さくなってしまうはずなのです。また、誰もが死を体験していないので、知らないことを恐れるという面もあるのでしょう。

けれども、よく見つめてみると、知らないものを本当には恐れることはできません。せいぜいが不安に感じるのが関の山です。何しろ知らないのですから。

そしてもう一つの死に対する恐れがあるとするなら、それは自分の所有物や大切な存在との別れがやってくることです。つまり喪失に対する恐れです。

最後に、死に対する恐怖は死んだあとの自分が感じるものではなく、生きている自分があれこれ思考することによってのみやってくるということも事実なのです。

それなら、冷静に死を見つめてみれば、死にまつわる多くの恐れは消えていってしまうはずです。そしてもしあなたが、意識をもったまま死を迎えることができるなら、その意識は死を通過して在り続けると気づくことになるでしょうね。