もうすぐ夜11時になろうとしている時間なのですが、暗いバルコニーに出てきて、このブログを書いています。虫の音が思いの外近くに聞こえるのです。
秋がそこまでやってきている感じがしますが、それでもまだ蒸し暑さも十分に残っていて、だから涼風がとても気持ちいいですね。
いつも適度の明るさの設定になっているはずのパソコンの画面が、非常に明るく感じてしまい、慌てて輝度を低くしてみたものの、それでもまだ少し明るすぎる感じがします。
勿論周りが暗いからなのですが、当然のことながらこの世界というのはすべてが相対的なものだということを改めて思い知らされました。
幸福度というものも、比較することで感じることができるのです。生まれたときから、蛇口をひねったら飲み水が出て来てくれる生活をしていれば、それを幸福とは感じません。
でも一度でも、断水になった経験をしていれば、そのときの経験と比較することで、幸福度を測ることはできるのです。比較しなければ、当たり前の状態にまた戻るだけですね。
すべてが相対的なもので埋め尽くされていると思っていたのに、もしも思考が止まってあらゆる比較が消えてしまったとき、何が残るのか?
明らかに幸福感は消えてしまうのですが、そこに残るものこそ永続的な至福感なのです。幸福に理由や原因があるのは、比較がベースにあるからです。
至福にはどんな理由も原因もありません。だからこそ、永続的なものなのです。真実には、最初の最初からどんな理由も原因もないのです。それが、ホンモノの証なのでしょうね。