傷を癒すという大義名分

私たちは人のことがいつも気になりますね。このブログでも繰り返しお伝えしている、「人のことを考えるな。さもなければ、どんな成長もない。」がいかに難しいか。

その理由は、「私」というエゴがどのようにして作られたのかを見れば明らかになります。幼い頃に、家族から毎日毎日送られて来た自己に対する彼らの反応。

それを自己イメージとして蓄え続けたその先に、エゴという架空の「私」がでっち上げられたのです。だから、エゴは他人抜きには存続できないのです。

つまりエゴとは人との関係性の中でのみ生き続けられるわけです。だからこそ、「人のことを考えるな。」と言われたら、エゴは困惑してしまうのです。

私たちが目の前にいない誰かのことを考えるとき、エゴは安心し、生きるエネルギーを与えられるのです。だからやめられないのですね。

好きな人のことを考えるときも、憎っくき上司のことを考えるときも、気に入らない誰かのことを考えるときも全て同じなのです。

実際に人と一緒にいるときには、エゴは放っておいても活躍できるのですが、独りでいるときには考えることで、エゴは生き延びようとするのです。

セッションで行う癒しの作業では、目の前にいない人のことを思い出し、つまり過去を思い出して、直接傷口を見ることからスタートします。

つまり癒しの前段では、エゴのやり方を積極的に利用するのですが、この方法はどこかで飽和してしまいます。つまり、キリがないのです。

傷を癒すという大義名分がエゴの活力源になってしまうのです。いずれはそのことに気づいて、「人のことを考えるな」を実践していく必要があるのです。

具体的には、人のことを考えていることに気づくこと。気づくことができれば、その時点で考えることをやめることもできるようになります。

そして、人のことを考える自分を見続けることができるようになれば、いずれはエゴは餓死するはずです。だから意識的であることが最も大切なことなのですね。

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