私たちは、普段自分のことを記憶の塊とは思っていません。自分とは一人の人間、一人の人格を持った人物だと思っているのです。ではそれが本当なのかどうか、よく見てみることです。
どうすればいいかというと、今この瞬間に生まれたかのように自分を見るのです。人生をどのように生きてきたのかということを抜きにして。なぜなら、過去の事象はすべて記憶データとしてしまわれているに過ぎないからです。
自分が記憶の塊ではないなら、それ以外の一体なんだろうと見るのです。だから、今発生した感じになればいいのです。そうすると、自分のことをどのように感じるでしょうか?
残念な気持ちになるのか、爽快な気分になるのかは分かりませんが、いずれにしても自分は誰でもないということを理解することになるはずです。記憶へのアクセスを止めてしまえば、そこに人物などいないと分かります。
人物とは歴史なのです。人物とは何を手に入れたのか、何を成し遂げたのか、自分の身に何が起きてきたのか、そういうあらゆる過去の歴史の集大成が自分を形作っているのです。
それらが自分自身ではないことは、誰だって知っていることですね。あるいは、自分はそうした体験、あらゆる経験をしてきた存在なのだというなら、それも過去データに過ぎません。
あらゆる体験は過去の中にのみあるからです。どうですか?何か清々する感じがしませんか?今生まれたばかりなら、どんなしがらみもないのですから。誰を恨むこともできないし、何に執着することも不可能です。
過去データと切り離されると、その瞬間に未来からも切り離されることに気づくはずです。未来に関する思考は、すべてが過去データを基にしているからです。
欲望がすべての苦悩を作り出すことが分かったからといって、欲望を捨てようとしないことです。欲望を捨てようとすること自体が新しい欲望だし、欲望を意志力で捨てることは不可能です。
欲望(=未来)は、自分が過去データから切り離されれば、自然と落ちるということです。今生まれたばかりの誰でもない自分なら、どんな欲望も持ち得ないということですね。
何かと忙しい毎日でしょうけれど、1日のうちに何度となくこの感覚に戻ってくる練習をしてみて下さい。少しずつですが、誰でもなさが自分の中で定着してくると思います。