選り好みがすべてを分離させる

誰にとってもとても難しいことの一つは、選り好みをしないということです。選り好みをして何が悪い?と思うかもしれませんが、いい悪いの問題ではなく、それが分裂を生むということです。

あれはいいけど、これはいやと思えば、もうそこで分離が起こるのですから。けれども、自分の毎日の生活を振り返ってみれば、選り好みをしないということがほとんど不可能だと分かります。

私たちが共通して持っている不安や孤独感は、自分と世界の分離感からやってくるのですから、このことがいかに重要なことか理解できるはずですね。でも選り好みはやめられない。

それをやめてしまったら、自分の個性そのものが消えてしまうと感じるかもしれませんね。確かに、それが「私」というエゴの個性を存続させているという事実もあるのでしょう。

個性がなくなってしまえば、「私」そのものも消えていく運命にあるのですから、それこそ必死になって選り好みをし続けようとするのも頷けるというものです。選り好みはエゴの生き残るための作戦なのです。

それなら、今日からはなるべく選り好みをしないようにしてみよう、そう思うならそれこそが新しい選り好みをしているのです。つまり、選り好みをしないという選択をしたということ。

いつも言っているように、本当に大切なことを意思の力で達成することはできないということを思い出して下さいね。意志力で選り好みをしないようにすることは不可能です。

じゃあどうしたらいいかといえば、これも毎度お馴染みのことですが、選り好みをする瞬間の自分をただ観るということ。年がら年中選り好みしていることに気づいていてあげること。

このことに意識的であること、これだけが時間はかかるかもしれませんが、少しずつでも選り好みが小さくなっていく唯一の方法なのです。