思考から離れた時、神秘が顕れる

実在に対して、思考はまったく歯が立たない。実在にについて、思考がどんな解釈をしようと、どんな分析や研究をしても、そんなこととは一切異なる次元に在るだけなのです。

実在に関して、どんな思考も役に立たないのです。思考が役立つと思えるのは、思考が作った世界の中でのみ。なぜなら、思考が作った世界とは、空想の世界だからです。

思考によって作られた空想の世界が、実在とはまったくもって無関係であることは、当然ですね。実在の観点からすれば、思考も一つの結果でしかないということ。

思考の結果、何かが得られたり、何かが起きたりするのではなく、思考そのものが一つの現象でしかないということです。このことは、思考では理解不能かもしれませんが。

何だか今日は分かりにくいことを書いてしまいました。もっと簡単な表現ができればいいのに、それができないのが残念です。

思考がとまり、静寂がやってきたときには、こうした表現がすべて的外れだということになるのでしょうけれど、それでも書くのはそれが起きることだからですね。

私の自由意志でブログを書いているかのようにみえますが、これも一つの現象として起きていることです。私の脳が内容を考えた末に、書いているという解釈をするのが常識でしょうけれど。

思考から離れたときに、思考が作り上げていた壮大なドラマから抜けて、ただ実在という神秘だけが残るのでしょうね。