マインドは裁き、ハートは共感する

人間は生まれて間もなく、五感を成長させるためにハートを成長させていくのです。ハートを使って私たちは感じることができるようになるからですね。

その後、エゴの芽生えと共に今度はマインドを成長させて行き、社会の一員として生きていくようになるのです。

エゴとはマインドの中で生きているものと思ってもいいくらいです。だから、エゴが強くなり過ぎてしまうと、ハートに比べてマインドばかりが使われるようになって、バランスが崩れてしまうのです。

ハートが無防備なのに対して、マインドは防衛から成り立っているのです。ハートが瞬間瞬間の感性であるのに比べて、マインドは論理や正しさを武器として成り立っているのです。

だからマインド優位の人は、ルールや倫理、こういった決め事を最も大切なこととして生きていくことになるのです。だからすぐに人としてどうなの?という目で他人を裁くことになるのです。

マインドは裁き、ハートは共感するのです。両者のバランスが崩れると、人は殺伐とした人生を生きる羽目になってしまいます。

先日、ある宗教を題材にした映画を観たのですが、主人公の看護師さんとその恋人とその家族がある宗教の信者という設定で、輸血はご法度という宗教の教えがあって、そこで心が揺れるのです。

その恋人が白血病で輸血しなければ命がないと分かっていても、恋人もその家族も輸血を拒否するのですが、そんな宗教に愛想を尽かして、彼女はその一家から離れていくのです。

彼女自身も輸血が必要なある患者さんに対して、唯一適合する血液型だったため、迷った挙句に自分の血を輸血する決意をするのです。もしも彼女がマインド優位で生きるなら、輸血はできなかったはず。

何か大きな決断を迫られた時に、マインドの縛りから離れて、臨機応変にハートの声に従うことができれば、バランスのとれた人生へと舵を切ることもできるということですね。

物事の正しさに依存せずにいられるなら、閉じていたハートが次第に開いて行き、マインドの代わりにハートを優先して生きることができるはずです。そのときには、より清々しい人生が迎えてくれるはずですね。