真実とはすべての土台

人生というのは、本当の現実の中にあるのではなくて、私たちのマインドの中に渦巻いている思考の中にこそあるのです。もっと言えば、一人ひとりが見ているこの世界も同じこと。

一人ひとりのマインドの中にある思考が、見たいようにこの世界を見ているということです。だから、人の数だけ世界も人生もあるのです。

それがバラバラなのに、私たちは全部同じだと思い込んでいるため、そこに軋轢を生じて、争いごとが起きてくるのです。そもそも現実というのはそういうものだということを忘れないことです。

一方で、真実はまるで違います。真実は思考の外にただ在るのです。それは唯一無二の存在です。それは思考によって把握することは不可能なのです。

つまり真実を評価したり、真実を想像したり解釈したりすることはできないということ。だから私たちエゴには逆立ちしても理解することはできないのです。あきらめるしかありません。

但し、瞑想などによって思考が非常に緩慢な状態になったときには、それを垣間見見ることはできます。

私たちが日頃感じる喜びや悲しみ、苦悩や快楽などはすべてが思考から派生して出てくるものです。真実はそうしたものの土台だと思えばいいのです。真実が無だというのは、そういうことですね。