↑こんなの見たことありますよね?これは、磁石とその磁力に惹きつけられた砂鉄の写真です。きっと小学生の頃に、理科の実験か何かで習ったはずです。
私は子供心に、磁石というものが不思議で不思議で仕方ありませんでした。目に見えない力が働いているということに、驚きを感じたのでしょう。
この写真から連想してしまうのですが、私たちが抱え込んでいる思考も、これと似たようなものなのではないかと思うのです。
磁石は、そこそこの年齢になるまでに凝縮した思考の塊であるマインドを連想させるし、そのマインドに引き寄せられた砂鉄は、日々抱え込んでいる思考をイメージさせます。
きっとこんな感じで、浮遊している無数の思考を引き寄せながら、生活しているのです。どんな砂鉄(思考)を引き寄せるかは、それまでに作り上げた磁石(マインド)によって異なるのです。
そこは磁石とマインドの違いですね。磁石は一律に砂鉄を引きつけますが、思考群であるマインドは、それに見合った、つまり同じ波動の思考(と現実)を引きつけるというわけです。
だから思考は自分のものではないし、独自の思考などというものもないということです。どこかに浮遊している思考をキャッチして、自分の思考だと思い込んでいるに過ぎません。
磁石にくっついた砂鉄は簡単に指で取ることができますね。同じようにして、静寂の時間を作ってあげれば、こびりついた思考をマインドからはずしていくことは、それほど難しいことではありません。
本当に難しいのは、自分はマインド(磁石)だという思考をはずしていくことです。これはもちろん、意思の力ではずすことは不可能です。
いつも言うように、意識的であり続けることによって、凝縮した思考(マインド)も少しずつ緩んでいき、終いには砂鉄と同じようにはずれていくのです。
そして後に残ったもの(何も残らないのですが)、その無こそが私たちの本質なのですね。