自分本位の勧め

もし世界中の誰もが自分本位だったら
世界はビューティフルだろう
ちょっと考えてみてごらん
誰もが幸せでいようとしている
誰もが祝おうとしている
誰もが静かで、瞑想的で
祈りに満ち、愛にあふれていようとしている
そういうものこそ幸福のもとだからだ
世界は幸せになるに違いない

by osho

自分本位になって下さいということは、16年以上前にセラピストになった頃からずっと言い続けていることの一つです。

↑ osho のようなすばらしい表現はできなかったですが、言いたいことは全く同じなのです。

けれどもどういうわけか、クライアントさんの中には「ノー」が言えない人がたくさんいらっしゃるのも事実なのです。

自分を最優先することができなければ、その後に続く愛の姿が見えてこないのです。愛は与えることですが、それは溢れ出てくるものを分かち合うことなのです。

枯渇しているなら、決して与えることなどできません。自分本位とは決して誰かと闘って勝つことではありません。

あくまでも自分らしく、あるがままに、ありのままに生きていくということを実践するためには、自動的に自分本位になるのです。

全ての人が誰かの目を気にすることなく、我のまま、つまり我がままに生きるなら、osho が言うように世界は幸せになるに違いありません。

“自分本位の勧め” への4件の返信

  1. 先日、カウンセリングをしていただいたとき、このことを強く言われて、たびたび思いおこされていました。

    職場の、要領よく自分のしたいことだけして、したくないことからはスーと逃げる同僚について。
    あなたもそうしたければすればいいじゃん、どうしてあなたはしないの?の、大
    澤さんの問いに、いまだ答えがみつから
    ないでいます。

    ひとつ、ある、自分の思い込みが隠されていたことに気づき、納得したところもあるのですが、それでもやはり、仕事で自分がやりたくないことからうまいこと逃げても、そのつけはまわりの誰かに押し付けるだけで、それでよしとできない自分がいます。いい人ぶっている、ということですか?
    では自分にとって、いい人と見られることが優先的なことだとしても。
    自分あるがままわがままの同僚から、愛が溢れ出しているとは、そこは、とうてい思えないのですが。。。

    1. 「ノー」が言えるようになったからといって、愛が溢れるようになるとは思っていません。ただ、「ノー」が言えない人よりは正直に生きているということです。

      自分が逃げて、そのつけが周りの誰かに押し付けられると思うと、罪悪感がやってくるのです。それが辛いと感じたり、いい気持ちではいられなくなるということかもしれません。

      まずは人のことを考えずに生きる練習をすることです。人を蹴落としていい思いをするということを言っているのではないです。自分と他人を比べることもやめることです。

      立派なエゴになるとはそういうことです。それが土台となって、その先があるとしたら、愛が溢れる可能性がようやくやってくるということです。

      1. ありがとうございます。おっしゃること、たしかに。

        ただ、気持ちが着いていかないです。
        心に蓋を何重にもしてきたせいか、なかなか根っこにある本心に気がつけないのです。

        癒しへの道のりはまだまだ、長いです。。。

        1. 人のことを見る代わりに、いつも自分の内面を見てあげる練習をすることです。内側を見るのが習慣になれば、自分を騙せなくなっていくはずですから。その練習を楽しんでやれるといいですね。

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