今回の衆議院選挙の様子などを、横目でチラ見しながらも、やっぱり腑に落ちない、不思議な光景が沢山あったなと思うのです。
選挙カーに乗って、名前を連呼するだけの毎度おなじみのあの宣伝。騒音になるだけで、あれに一体どんな意味があるのかなと。
もっとひどくなると、街頭演説で「みなさんのお力でどうか私を男にしてください!」って…。
さらに、当選した議員が、選挙事務所などでやる万歳三唱。なぜ万歳なのか?あのお方たちは、きっと自分のことしか最初から考えていないのではないかと疑ってしまいます。
驚きのあまりあきれて笑ってしまったのは、アベノミクスの向こうを張って、ユリのミクスって、羞恥心をかなぐり捨ててまで首相になりたいのでしょうか?
頭はいいのかもしれませんが、政治家のみなさんの野心や保身の醜さには、毎回うんざりしてしまうのは私だけでしょうか?
もちろん中には国家のために身を投げ出す系の方々もいらっしゃると思うのですが、政治に期待できない現状を生んでいるのは、個々人のエゴのなせる技。
それもこれも物語として捉えるなら、なかなか興味深く見ることもできますが、人類から戦争がなくならない要因の縮図を見させられているようですね。
私も同感です。
子供達は学校で友達の悪口を言ってはいけない、と何度も言われて育ちますが、選挙演説でこれでもかと自分の熱意以上に他党の悪口を叫んでいる大人がいる。
違和感を持っている人はどれくらいいるのだろうと思っていました。
どちらを何を選択しても叩き、すぐに責任を取ってやめろだなんてこれじゃぁ子供達に恥ずかしいなぁと毎日呆れて見ています。
話はそれてしまいますが、私自身見ることを意識するようになってから、人や自分の言動に違和感を感じた時、そこを落ち着いて見ることが自然にできるようになってきました。
そうすると私のエゴの反応も短く済み、相手の言動を理解することができるのでかなり楽になっています。
人の性格や癖などもこの人はこういうところを持っている人、と見ることができるとどんな人とでも淡々と付き合えるようになるかもしれませんね。
頭で判断することが減ると相手を思いやる気持ちが増すことも実感しています。
見ることの効果はかなり大きいです。
これからも続けていきます。
いつもありがとうございます。
見ることで、エゴの反応が短くなるというのは、リアルな実感だと思います。最終的には、エゴの絶望すら受け入れることができるようになるんでしょうね。そのときに、エゴは自然と落ちることになるのですね。