マインドは気が触れている

osho がよく言うのですが、マインドとは群衆のようなものだと。群衆というのは実体はないのですが、なんとなくまとまってなにかの機能を果たすようなもの。

マインドもまったく実体というものは存在しません。ただ夥しい数の思考が集まって、真実とは程遠い信念のもとに機能しているのです。

マインドあるいは思考の根っこにあるものとは、分裂です。全体は分断されて存在しているという間違った見方をしているのです。

マインド自体が分裂しているために、それを外側へと投影することによってこの世界も分裂していると思い込むのです。

だから正気のマインドというものはないのです。ある一定レベルにおいて、マインドは病んでいるのです。

いわゆる正気と思われるマインドであっても、必ず無数の人格のかけらのようなものに分裂しています。これがごく普通のマインドの状態です。

その分裂の状態が極端になってくれば、精神疾患があるかのように見え出すのです。ただそれだけのこと。

だから、神経症的な人を深く観察することは、マインドのメカニズムを理解する上で非常に有効なわけです。

極端な状態というのは、それ自体を隠すことができなくなる傾向があるからです。私自身、自分のマインドを長い期間観察してきたおかげで、分かったことも沢山あります。

対象をしっかり見ることによって、それとの距離ができるのです。そうやってしか、同一化からはずれる術はありません。

気が触れたマインドを後生大事に自分だと信じたまま生きて死ぬのか、それともしっかり観照することでマインドから離れるのかは、あなた次第ですね。