宇宙的同時存在性

一度理解したら、あなたはくつろぐ–。あなたは<宇宙的同時存在性>のなかにくつろぐ。私が「自然でありなさい」と言うときに意味することはそれだ。自我は不自然な欲望をあなたに持ち込む。それはあなたの気を狂わせる。生は単純だ。が、単純であるためには、人は無目的にならねばならない。

by osho

自分とは、この世界この宇宙の中にありながらも、そこから分離独立した個人としての存在だという、しつこい思い込みで成り立っています。

真実はそうではないので、その間違った思い込みを維持していくためには、さまざまな努力や工夫が必要になってくるのです。

それをやっているのが自我(エゴ)というわけです。私たちが独自の目的を持とうと常にしているのはそのためです。

独自の目的のために生きるなら、その生自体も独自のものとなると信じているのです。独自の欲望、独自の考え方、こうした他者との違いが決定的に大切なのです。

人と同じではいやというのは、そういうことですね。そうやって、生を複雑なものへと変えていくのです。

自分が特別だと思えるのなら、自我はどんな手段でもいとわないのです。大金持ちになったり、首相になったり、難しい病気になってみたり、はたまた類い稀な善人にもなろうとします。

真実はとても単純です。思考では把握できないくらいにシンプルなのです。だから自我にとっては苦手なのです。

それが何であれ、特別ということはありません。すべては無から立ち上がって来た現象であり、何もかも境界があるかのように見えるだけです。

自我の目が落ちたなら、宇宙的同時存在だけが残るということですね。