退屈の向こう側

あなたが退屈から逃げださなかったら、それと共に生きはじめたら、それを受け容れはじめたら、歓迎しはじめたら・・それが瞑想の何たるかだ。退屈を迎え入れること、自らそのなかへ入っていくこと。それが来るのを待つのではなく、それを探し求めること。

by osho

まずもって、日々退屈を感じて生きている人の方が少ないでしょうね。それは退屈を感じないように、生きているからです。

たまたま多忙だったり、たまたま用事があるのではなく、ひとえに退屈を感じないように、退屈から逃げ回っているだけなのです。

退屈はエゴにとって、窒息するようなものだからです。息苦しくてどうしようもなくなるのです。だから、とにかく何かすることを探し出してくるのです。

老人になって、否応無く退屈することはあっても、それではもう手遅れかもしれません。いや本当はそんなことはないのですが、退屈は敵だと思い込んでいるに過ぎません。

退屈は私たちの本質を隠すおおいのようなもの。本質を見出すことができないようにするために、退屈という恐怖で包まれているのです。

もちろん本質を見つけてしまったら、そのときにはエゴはゴミ箱行きだと分かっているからです。だから是が非でも本質から離れていなければならないのです。

もしも退屈だなと感じることがあるなら、これからはチャンス到来と思うようにして下さい。そして瞑想を始めればいいのです。

退屈すると、あれこれ考え出してしまうかもしれませんが、そのときこそ瞑想するようにするのです。

退屈を突破できれば、いずれは真実を見ることができるはずですね。