気づいていることだけが在る

最初で最後のステップは、自分が誰であるかを知ること、目覚めることだ。

by osho

このブログでずっと話題にしていることを一行で表現するとしたら、↑のようになるのでしょうね。

自分は誰なのか?というよりも、自分とは何なのか?の方がよりニュアンス的には合っていると思います。

誰かと言ってしまうと、人間に限定されてしまうため、それはどんなマインドを持ったどんな経歴の人なのかという意味になってしまうかもしれないからです。

そういうことではなく、もっともっと原点に立ち帰って、一体これは何なのだろう?というこの上なく素朴な疑問になればいいのです。

気がついたら身体の中にいるような感じがするし、気がついたら世界と分離しているし、気がついたら苦しいことがいっぱいあるし…。

その中心にいるのがこの自分と感じているのです。この自分という一人称的な何かは、単に気づいているということ。これがもっともシンプルな表現です。

気づいている誰かがいるというように、すぐに複雑にしてしまう癖があるだけで、本当は非常にシンプルなのです。

つまり誰もいないのです。ただ在るのは気づきだけ。