誰だって不快なことは嫌いだし、苦しみや痛み、否定的な感情や気持ちからは逃げ出したいと思うものです。
私たちが一番逃げているもの、それは自分の惨めさです。惨めな自分だけは見たくないのです。目をそらすだけではもの足りずに、惨めではないことを証明しようと躍起になるのです。
勿論それは失敗するのですが。なぜなら、その努力そのものが惨めだということを明確化してしまうのですから。
癒しではそうした見たくないもの、逃げ出したくなってしまう自分の隠された姿をしっかり正面から見る必要があるのです。
光を当ててしまえば、それは小さくなっていくからです。ところで、逃げずにしっかりと見ることは、我慢を強いられると思ってしまうかもしれませんね。
嫌なことから逃げずにいるのですから、我慢せざるを得ないと感じるかもしれませんが、実はそうではありません。
真正面から見るとは、我慢することではなく、ただそれと一緒にいるということなのです。目を背けずに、さりとてそれと戦わずに見るなら、そこに我慢は必要なくなるのです。
それをただ感じていればいいのです。痛いものはただ痛みとして、嫌なものは嫌だと感じながらいること。そこに闘いや防衛がなければ我慢も消えていくのです。
そのときに初めて、そこに光が当たり、闇のエネルギーが静かに溶けていくことになるのです。それが癒しですね。