家族を特別視しない

日頃から、オリンピックにはこれといった興味を持っていない方だったのですが、年齢とともに暇になってきたせいか、今年は見る機会がそこそこありました。

その中で、女子フィギュアスケートのロシアの選手がすごかったですね。銀メダルをとったメドベージェワ選手がメドベージェフ首相から何かを授与されたというニュースも見ました。

両者が似たような名前なので不思議だなと思ってネットで検索してみたら、女性は「ワ」を使い、男性は「フ」になるらしいことを知りました。

ようするに二人は同じ苗字だったってことですね。そしてこれは「熊」を意味する形容詞から来ているらしいです。

さらに言えば、ロシアでは苗字の代わりに○○祖父の○○父の○○という呼び方もしていたようです。

私で言えば、祖父が「順」、父が「正義」、で私が「富士夫」なので、それらを使ってフルネームで呼ぶなら、ジュン・セイギビッチ・フジオフってことになるのかな 笑?

代々の名前を使って自分の名前を表現するというのは、どうなんでしょう?親を嫌っている人の場合は、自分の名前を嫌うことにもなりそうですね。

私は家系とか親族とか、そういうものに何の価値も見出せない性分なので、ホントどうでもいいのですが…。

家柄とか、血統、血筋、血縁の伝統あるいはお墓を守る的なことにはまったく興味がないのです。

昔何かのパロディで、「東北の親戚より北区の他人」というのがありました。勿論、「遠くの親戚より近くの他人」をもじったものですが、確かにそうだなと思いますね。

家族を特別視する必要はさらさらないということ。親だからと言って殊更大切にしなければいけないということはありません。

大好きな人なら大切にしたいのは当然のことだし、もしも嫌いなら、それは嫌いでいいし自動的に疎遠になるのは当たり前ですね。